6号線の旅 その2~坂元~

ハギヲ

2007年08月08日 20:17




亘理の旅行記からかなり経ってしまいましたが、6号線の旅、坂元編です。

ひとつショックだったこと!6号線を通ってると海って見えないんですね (T0T)
せっかく浜の方通って来たのに一回も見れなかったんです。
今度行くときはもっと海岸寄りの道路を通ろう。

そして、今回は坂元城!
藩政時代の坂元城主は大條(オオエダ)氏なんですが、あまり大條氏のことをよく知らないんです;(勉強不足(´;ω;`))
その坂元城になんで行ったかというと、私が好きな武将のひとりである後藤信康が一時期居城してたからです。信康の経歴を見ると、坂元城にいる頃に『朝鮮出兵』が起こっています。伊達軍も文禄の役に朝鮮半島へ渡海していますが、信康は留守番組でした。
渡海した兵の中に、「リベンジ岩出山」で名前を出した原田宗時という、伊達家重臣で信康と刎頚の契りを交わした武将がいました。朝鮮半島に渡ってからもたびたび信康とは文を送りあっていたらしいのですが(仙台市博物館にも信康宛の宗時文書が保管されています)、宗時は風土病に罹りこの戦で命を落としてしまいます。
この事実を知ってから、一度は坂元へ行ってみたいと思っていました。
資料館やなにかがあるわけじゃないですが、せめて同じ景色(もう400年以上昔だから当時そのものの景色とはいかないでしょうけど)を眺めたい、そんな単純な願望が動機です。
坂元城全体図


現在二の丸は小学校になっています。
それにしても坂元神社(本丸)は細い路地の突き当たりにあるので、カーナビがなかったら辿り着けなかったかもしれません。

本丸全体図



上記ふたつとも案内板を参考に作成させていただきました。
妙見宮跡は‥‥暗いしお稲荷様とか色んな石の人形がたくさん集められていて、なんだかとってもスピリチュアルな空間だったので、あまり奥まで踏み込みませんでした。あの置物はいったい‥‥?


1.入口

小学校の脇を通るとすぐ発見できます。
カモメが空を飛んでいて、やっぱり海が近いんだなぁと実感!


側面から見てみる。



2.鳥居

左手にあるのが小学校(二の丸跡)






3.坂を上りきったときの景色

「本丸跡」という看板が。



4.坂元神社


180度回転して、北東方向を眺める。あと坂元の空や、桜の木(冬だったので寂しい‥)









5.南西方向から




6.内堀

この先は本能が立ち入り禁止を叫んでいて~‥‥いやほんとに怖かったんです、こっから先は‥‥



7.内堀

右手には、11へ降りる険しいルートも。



8.井戸跡

奥には小学校が見えます。どうやら授業中のようでした。



9.東から見る内堀




10.海見えないかな~

やっぱり見えませんね(T_T)
標高?標高が低いから??




11.内堀
ちょっと急な坂になってます。暗い‥‥(゚ε゚;;)




●そのほか●


東から見た本丸全体



鶴の堀あたりかな?にあった水壕跡



豊臣秀吉ゆかりの茶室


坂元神社に行く途中、三の丸跡において、突然のメジャーな名前にビックリ。
と、豊臣秀吉‥‥?なんで坂元のこの地に豊臣秀吉‥‥??
一般の民家で管理なさっているらしく立ち入ることはできませんでしたが(工事中の看板もありました)謎が謎を呼ぶ茶室(`・ω・´)
なんでもこの茶室は、御存知仙台藩祖伊達政宗が秀吉から拝領されたと伝えられていて、大條氏15代道直(奉行職・江戸勤め)が世継ぎの功があって伊達斉邦から拝領されたとか。
仙台城の遺構としては県内最古の建物!なんとしたことか!!ぜんぜん知りませんでした。なんだか嬉しい発見。



次は6号線の旅ラスト、福島県の中村城址です。
馬!馬かっこいい!!
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