下調べなしの岩出山
ぶらぶら史跡を見たり写真を撮ったりしてるだけじゃもったいないということで、ブログ形式にしました。
昨日と今日で鳴子温泉に行っていたので、ついでに寄った岩出山。
今は「大崎市」岩出山なのかー。知らなかった。そしててっきり山に囲まれている土地だと思い込んでたら、「大崎平野」だったとは!
岩出山城は政宗公が青葉城に移るまでの12年間居城していたところですが、文禄の役前後で長い期間空けていたし、3つの居城の中では少し印象が薄いかも。
鳴子温泉
こけしの里だけあって、不意に置かれている菓子だってこけしでした。館全体がこけしだらけ。
あ・ら・伊達な道の駅
岩出山池月にある道の駅。
「あ・ら・」‥‥?
??
入口から凧絵の政宗公がお出迎えしてくれます。
道の駅とは思えないくらい大きな建物!農産物直売所、蕎麦屋、パン屋、レストラン、コンビニと、いっぱい詰め込んでます。
ここで岩出山周辺地図を見ていたら、岩出山伊達家廟所近くに
原田甲斐邸跡という文字を見つけたんですが、結局どこか分からずじまい。なんで岩出山に原田甲斐??それとも見間違い?分からーんっっ=3
岩出山城址
今回は家族が一緒だったので数分で帰ることになってしまい、コメントしようにも、話の種がなにもなく(--;
城下を眺めてみる。
盆地米沢から平地岩出山に移ってきて、聳え立つ山々のないこの風景、伊達勢の目にはどう映っていたのでしょうか。
セメント会社寄進の政宗公平和像。片目の姿です。真っ白なのが印象的でした。
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追記(1/21)
岩出山の原田甲斐邸跡、気になったので調べてみたら、ちゃんと本に載っていました。
なんと、自分の中でめちゃくちゃ気になっていた、
岩出山の原田邸でした‥‥!米沢から岩出山に移ってきたとき、宗時はここに屋敷を割り当てられたのかぁ。へーほー。八幡神社の近くです。
「今日まで不浄屋敷と言われている」と書かれていて驚きました。やっぱり寛文事件が絡んでいるんでしょうか。‥‥‥でも岩出山の屋敷って甲斐あんまり関係ない気もするけどな。「原田」といえば「原田甲斐」のイメージが先行してしまうのかな。「不浄」はいくらなんでも悲しすぎる‥‥(T T)
原田邸がここら辺ってことは、重臣たちの屋敷もだいたいこの近くってことですよね?なんで原田邸ばっかり案内板まで立ってるんでしょうか。「樅の木~」効果?岩出山の片倉邸とか後藤邸とかもどこにあったのか知りたいなーっ。
そして岩出山、
幼少の原田甲斐伝説というものまでありました。
夢中で山鳥を追っていた甲斐が山奥へ迷い込み、白狼に襲われたがそれを退治した、というストーリーです。白狼を供養するため植えられた松が、今の八幡神社にある権現松だと言われているとか。
昔の人はこの話を通して何を伝えたかったんでしょう。
甲斐に供した家臣ふたりが喰われたりして、ちょっと血生臭い感じがします。
岩出山リベンジで原田邸、ぜひぜひ行きたいと思います。春になったら
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