2007年08月09日
原田甲斐屋敷跡、馬上蛎崎神社
ファイルを整理していたら、片平をウロウロしていた時に撮った写メが出てきました。
下の『6号線の旅 その2~坂元~』で載せたエピソードに登場する後藤信康と関係深い馬上蛎崎神社に行きたかったんですが、なんかものすごい迷って大学の方とか行っちゃって、結局たどり着いたのが高等裁判所、見上げれば原田甲斐屋敷跡がそこに‥‥というタナボタ現象。この方向音痴は死ぬまで治らなそうです;
原田甲斐屋敷跡
原田甲斐って皆さん知ってますか?
私は最近山本周五郎氏の「樅の木は残った」を読んで名前を知った程度なんです(;´v`)
仙台市博物館では常設展で伊達騒動のさまざまな史料を展示してますけど、正直ちょっと取っつきにくいというか、仙台といえば政宗!って印象が強くて、「伊達騒動」といわれてもイマイチなにがあったのか興味がある人でないと分からないんじゃないかと思います。
とりあえず屋敷跡の案内板には
とあります。
2004年に仙台市文化財ボランティアの皆さんが、伊達騒動の犠牲者供養のための「三地蔵尊供養会」という会を設立なさったそうですね。今年も3月26日に荘厳寺で執り行われたそうです。荘厳寺には原田甲斐屋敷にあった屋敷門が移築されているんですね、一度は行ってみたいです。
屋敷跡の向かい側。
原田家といえば、またかと言われるかもしれませんが下の『リベンジ岩出山!』『6号線の旅 その2~坂元~』で名前を出した17代原田宗時。原田甲斐宗輔は19代です。
いろいろな土地でいろいろな人物が繋がっていて不思議ですね。
ついでですが、大河ドラマの「樅の木は残った」が総集編しかないのが残念でならない!!
平幹二朗さん演じる原田甲斐の渋さが尋常じゃないですね、たまんないです、あ~全話収録DVD出ないかな~!
脱線=3
結局目的の神社には行けず仕舞いかとガックリして大通りへ出たら、目の前に馬上蛎崎神社が‥‥(´Д`)アホすぎる!わたしアホすぎる!!
馬上蛎崎神社
修験道の開祖といわれる役行者の石像が左にあります。もとは神社のお隣の良覚院にあったものだとか。
馬が飛び降り‥‥ほんとかな?
後藤信康は同年の1614年8月に59歳で亡くなっています。関係はある?ない??
仙台市内の史跡回るだけでも一生かかりそうです。
Posted by ハギヲ at 15:48│Comments(0)
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